2016/12/08

古い映像が物語るもの

 今年も残り少なくなりましたね。
 前回のブログは、極めて初歩的なミスの連続で、再三修正を繰り返す極めて単純なミスをしてしまったのです。
 未定稿メモをそのままコピペしてしまったのが要因です。

 使い慣れないタブレットを使って書いたのが間違いでしたー。えっ?お前の技術が未熟だからですって?そうですその通りです。ゴメンナサイ!

 さて、本論です。昨日の新聞に、ある町の小学校5校が1校に統合され、4校は廃校になると書かれていました。
 従って、統合した学校から遠距離の子は、バス通学になるのだそうです。
 且て、2,800名近く居た児童の数が、今は600名程度まで減少してしまった事が要因のようです。

 私事で恐縮ですが、昔、勤務した学校も早く廃校になり、今は太陽光発電のパネルが昔の校地一体を覆っており、用事で通るたび寂しく見つめています。
 当時、やる気満々の視聴覚主任として、8ミリ映画教材を作ったり、ビデオ教材を作って同僚の先生方に授業の中で使って頂いた事を想い出します。
 その頃の8ミリフィルムやビデオテープは廃校後どうしたのかわかりません。

 7月の欄でも書きましたが、移り変わる時代の中、当時は只のゴミ的存在でしかなかったフィルムやテープでも、今では、昔を物語る証拠として極めて重要な宝的役割を果たすものだと思うのです。
 雑誌「視聴覚教育」に、川崎市市民ミュージアムの濱崎氏も書いておられますが、例えば、昔の土地の様子や、地域の年中行事、自分達が子供の頃の姿が写っている当時の学校生活の様子など言葉や文字だけでは語る事のできない自分達の地域の歴史をリアルに学習する資料として利用できるのではないでしょうか。
 今、廃校跡地の太陽光発電のパネルの前を通るたび、一所懸命撮ったフィルムやビデオテープの映像を思い出します。

 みなさん!どうぞよいお年お迎えください。

2016/11/28

現実を考える

 総合全国大会も無事終了しました。
 生涯学習関係の集まりも大勢の方々に参加頂き、共に報告頂いた方々、適切な指導助言を頂いた先生方に深く感謝しています。
 優れた事例報告は、参加された視聴覚センター・ライブラリー関係方々にとっても、有意義な内容であり参考になったかと思っております。

 後日、大会の詳細報告については、時報やWEBサイト等でお知らせする予定になっています。
振り返って、ここ何年かの全国大会紀要を眺めてみますと、似たようなテーマや切り口からの主題で話し合いが行われきているような気がしてならないのです。

 むろん、今日的な教育メディアに関する取り組みとしてICTと融合したメディア利用と言う視点や方向性はこれからの視聴覚センター・ライブラリーのあり方を考えるにあたり不可欠な課題であり大いに役立つと確信していますが・・・。

 さて、大会話から、厳しい現実的な話題に変わりますが、各地域視聴覚ライブラリーの現状をデータなどから見ますと、理論と現実とにややギャップがあるような気がしない訳でもありません。

 例えば、多くの小規模地域視聴覚ライブラリーが当面している、映像メディアの整備減や予算減、そして供給減と言う問題をどう考え解決したらよいのでしょうか。

 あまりに現実的な切実な暗い問題ですが、避けては通れない問題だと思うのです。
 どこかで、みんなで知恵を出し合い、この現実的問題解決にいいヒントを見つけ出す機会も必要ではないかと思うのです。

 いや、思うだけなく何らかの形で具体化する必要もあるのではないでしょうか。
 上記のような状況の中で、ひとつまたひとつと小規模地域視聴覚ライブラリーが消滅していっている現実的な問題について、どこかで解決策や方法について話し合う機会を持つことによって、それぞれの小規模地域視聴覚ライブラリーの活路を見出すのに役立てればいいなと思うのですがー。

2016/10/23

連携

ご存知の事ですが、毛利元就が三人の子に、結束の重要性を三本の矢に例え、矢は1本では簡単に折れるが、3本束ねると折ろうとしても簡単には折れない。同じように一族も結束して強靭に生きよと説いた教訓がありますね。

連携お互いに連絡を取り合って物事を行う事 【広辞苑】

この言葉は、いろいろな場面で使われていますが、その意味を考えてみると、いささか、反省の余地があるような気がするのです。

偏見毒舌で恐縮ですが、組織や団体が(むろん全視連も含めて)“連絡をする”つまり情報発信をする事は、インターネット社会の当世、誰でもどの組織でも考え、行っている事でしょう。

だが、“お互いに”“取り合って”となると、どうも、そう上手く行っているようには思えないのです。

例えば、このブログを例にしても、情報を読んでいる方は僅かでも居るかもしれませんが、反応は殆どない状況です。

つまり、一方的な連絡であって、連絡を取り合う所まで進む事は稀だという事です。

“取り合う“という事の背景には、それぞれの組織や団体の利害関係が存在しており、情報が大局的に見た正論であろうと、自組織や団体等の課題や目標とフィットしなかったり、解決の一助にならない情報だとすれば、反応するつまり連絡を取り合う意欲も行動も消極的と言う事になるでしょう。

逆に、それぞれの組織や団体が抱えている問題解決に役立つならば、飛びついてゆくことになるかも知れませんがー。

個人であろうと、団体組織であろうと、お互いが、それぞれの実情や目的を踏まえ、何をどのようにすれば、自組織団体の問題解決や発展につながるか、共通理解し“物事を行う事つまり連携する事が重要だと思うのです。
 3本の矢ではありませんが、組織団体が連携し、自らの組織団体の充実発展を図るために、協議会や連絡会議、研究大会などがあるのだと思うのですがー。

2016/09/28

メディアと地域社会

 “暑さ寒さも彼岸まで“と言われますが、今日も気温は28度を超え、真夏並みの蒸し暑さの中で、まもなく9月も終わり、秋たけなわの10月を迎えようとしています。
 誠に恥ずかしい話ですが、サボりにサボりを重ね、2か月近くの空白を作ってしまいました。(お詫びいたします)

 さて、再開にあたり少し大胆な提案をしてみたいと思うのです。

 と言っても、只の空論ではなく、実際に提案に近い活動をしている所もあるという事を念頭において愚論をお読み頂ければ有難いのです。
 視聴覚センター・ライブラリーのあり方について、調査研究等を通して、検討されていますが、これからの視聴覚センター・ライブラリーのあり方を考えるひとつのヒントとして、学校教育や社会教育施設等への教材提供や研修機会の提供機能等は当然ですが、そこに留まらず“メディア・コミュニティ”の拠点として機能するという考え方はできないだろうかという考え方を持っているのです。

 つまり、発想の基盤を、地域において、地域の施設や人々が、メディア等を適切に利用できる環境整備や支援活動等の機能を充実させる事により、少子高齢化や過疎化が進む地域だけではなく、人と人との関係の希薄化・孤立化が進む地域、あるいは情報過多時代とも言われ、安心して情報利用が難しくなっている今日、ICT等を活用することにより、それぞれのコミュニティにおけるヒューマンコミュニケーションの充実や、日々の情報提交流や利用が安心して行える地域、つまり“メディア・コミュニティ“と言うもうひとつの機能を持つことにより”地方消滅“などと言われる問題を多少でも回避することができるのではないかと思うのです。

 視聴覚センター・ライブラリーは、情報環境の構築や利用・学習支援を、地域のメディア施設のひとつとして、他のメディアに関わる各行政組織等と連携することによって進めることはできないだろうかと思うのです。

2016/07/29

ゴミと宝

 以前、「記録映画・むかし」と言うテーマで書かせて頂いた、昭和の中頃、地方の小さな町が制作した16ミリ映画の話をもう一度考えて見たくて取り上げてみました。

 この映画は、江戸時代、この地方にあった大きな湖を干拓して新しい村や広大な農地を作り出した歴史を映画化したものですが、その結果として変化している町の様子や、暮らしそして仕事の様子(半世紀以上前)も描かれています。
 江戸時代の干拓の経緯が学べる事は勿論ですが、半世紀以上前のわが町の情景や産業、人々の暮らしの映像は、本編のテーマは異なるのですが、今と言う視点から見ると貴重な映像資料となっているのです。
 今、多くの視聴覚ライブラリーから16ミリ映画フィルム教材や録画テープ教材の廃棄届が出されていますが、確かに映写機が使えなくなり、フィルムが老朽化して使用できなくなっているのは確かです。

 だから、ごみ扱いで捨ててしまっていいのでしょうか?デジタルアーカイブの重要性が認識され、各地でそのための活動が行われている今日、生涯学習や学校教育で学ぶために役立つ貴重な映像コンテンツが映画や録画の一部に記録されているかも知れません。
 かつて映像資料のデータベース化(当時はデジタルアーカイブという言い方は普及していなかった)の仕事をした時、どのような考え方で映像資料を収集蓄積したらよいか、研究者の方々に指導を受けた時「はじめは、只のゴミでしかない場合も多いですよ。しかしそれをデータとともに蓄積保存し、時間が経過し状況が変化してゆく中で、只のゴミだった映像資料が貴重な宝になるケースも多いですね」と、話してくれたことを思い出します。
 ICT化が進む中で、映像コンテンツをデジタル映像化し、アーカイブすることで、自分達の地域の歴史や自然文化を考える資料として、次世代に引き継いでゆく貴重な役割を果たすのではないでしょうか?

2016/06/20

ミニシアターの会

 視聴覚教育時報と似たようなコメントを書きますがお許しください。

 まあ、筆者の偏見と時代遅れの考え方が、こんな意見を書かせるだと思ってください。

 と言うのも、最近のテレビメディアや様々なSNS等による情報発信は(このブログもそのひとつでしょうが)伝える方法や表現が強く押し出されているような気がするのです。
 伝わらなくては意味がありませんから、伝わるように工夫し努力されている事は十分に理解できますが、その対象者や受容者は、それなりの考え方や感情を持った人間ですよね。

 情報発信者の思いを、簡単な文字や画像表現で伝えようとしても、その考えが伝わらなかったり、まったく思ってもいなかった抵抗感や受け止め方をされる場合も出てきていますね。

 筆者自身も、SNSを使ってのコミュニケーションで、自分の思いが伝わると錯覚した“独りよがり”コメントを発信し、誤解されてしまった失敗経験があります。

 前説が長くなりましたが、実は、これからが本論で、先日ある町の公民館で行われた“ミニシアターの会”を覗き見に行った時の話です。

 友人から、この4月から町の公民館の小さな部屋を借りて、「“ミニシアターの会”を始めたから見に来ないか」と言う伝言があり、野次馬気分で覗きに行ったのです。

 参加者は僅か8名で、途中参加を入れても10名と言う小さな会で、昔、町が制作した記録映画と、どなたかが作ったフォトムービーが上映されていました。

 上映が終わると、コーヒーを飲みながらの雑談(?)が始まりました。

 それも、映画や写真の話ではなく、それをきっかけにした自分たちの町の思い出や暮らしの話で盛り上がっていました。

 会が終わって、帰り際、通り掛かったある女性の方が呟いた「ああ、よかった!」の独り言が印象に残りました。

 よく言われますが、コミュニケーションは、それぞれの思いを伝え合い共有することができるかどうか大切だと思うのです。

 大々的行われる派手なイベント等とは比べ物になりませんが、文字通り“ミニシアターの会”が、継続して行われ、お互いの思いを伝え合いわかりあって、お仕着せではない自主的な地域を元気にする活動に結び付き輪を広げてゆく小さなバネとなる“学びの会”に発展すればいいなと思いながら帰ってきました。

2016/05/15

「新教育映像普及事業」について

 実は、かつて、この教育映像普及事業は、国の施策として、映像教材の普及を図る事を目的とした助成事業として行われていたのです。
 それが、教育メディアの変遷に伴い、映像教材普及助成事業は終わりを告げたのです。
 現実的には、視聴覚センター・ライブラリーを始め、図書館や博物館、学校教育での映像教材利用は終わったのではなく、むしろその利用は普及し定着しつつあった時代であったと言えるかもしれません。

 しかし、どこの視聴覚ライブラリーや図書館博物館等でも、なんらかの後押しがなければ、なかなか新しい教材を購入する予算はつき難いと囁かれていたものです。
 そこで、考えたのが“新教育映像普及事業”と言う事業名で、全視連が各映像教材製作販売会社の協力を得て、質の良い映像教材(例えば、国の選定作品や映像教材コンクール入賞作品)を選んで推薦し、その利用効果を利用者の視点から調査しまとめて頂き、映像教材製作販売会社等に情報提供し、更なる優れた映像教材の企画製作そして利用に生かして頂こうと一石二鳥を企画したのです。
 しかし、そんな綺麗ごとだけでは、映像教材購入予算がつき難い現実にはフィットしないので、各映像教材製作販売会社の支援により“調査研究価格”を設定して“特別価格”で購できるシステムを用意したわけです。
 最初は、視聴覚センター・ライブラリーだけでなく、他の映像教材利用を目的とした団体や機関から多数の応募がありましたが、次第に、この事業に参加される施設や団体が漸減し、昨年はわずか1ライブラリーでした。
 優れた映像教材が今も沢山制作されているのです。文中で触れていますが、その趣旨やメリットを理解して頂き、ぜひ今年は多数の協力参加をお願いしたいものです。

 メルマガにも書きましたが、まもなく「新教育映像普及事業」への応募を呼びかける公式文書が送られると思います。沢山の応募を期待しています。

2016/05/05

伝える努力

 旧聞で恐縮ですが、「戦後70年」に当たる昨年夏休みに、ある小学校を会場に、地元の先生方が主催する「戦争と空襲を語る会」が行われた時の話です。
 ベテランのA先生が「東京大空襲」について資料を示しながら、空襲の恐ろしさを話していましたが、さすがに、資料の使い方も話術が素晴らしく、焼夷弾攻撃で家を焼かれ、その炎の中で焼け死んだ子供の話になると、涙ぐんでいる子もいました。

 会場には、米軍のB29の写真や、空襲で燃える町の写真、空襲で投下された本物の焼夷弾の薬きょうや古びた防空頭巾、防空壕の子供達の写真、そして当時の教科書等なども展示してありました。
 空襲の様子や戦争中の生活に関する資料を多く集められた努力には頭が下がりました。
 それだけに、戦争や空襲の語り聞かせをするために、どんな工夫や苦労をされたか、聞いてみたくなりました。

 なぜなら、語り聞かせるA先生自身は、戦争を体験されているわけではないのですから、如何に戦争や空襲に関する情報を集め、その情報の正しさを確かめ、まとめ、伝えるかが重要な事だと思ったからです。
 「東京大空襲」の場合などは、関係者の努力で、博物館等に証拠となる品々が展示されており、多くの写真や資料も公開されているのはご存知の通りです。
 実は、この小学校のある町も、空襲で学校や家々が焼かれているのです。ごく身近なと言うより自分達の町が空襲で焼かれた事実をしっかりと語り伝える事はもっと大切だと思うのです。
 そのためには“我が町の空襲”について、正確な資料を集め、空襲体験者の方々の話を収録したり、残っている空襲の証拠や写真等を探し求めて、学校教育での教材として、或は生涯学習での学習資料として利用できるように、デジタルアーカイブ化して、後世へ伝える努力や工夫をして欲しいと思うのです。

 70年以上前の事だけに、困難な作業となるかも知れませんが・・・。

2016/04/06

利用するための自作映像教材

 新年度が始まりました!今年も宜しくお願いします。

さて、今回は地域の自作映像教材の話ですが、以下述べる事例は、視聴覚センター・ライブラリーそれぞれ事情が異なりますから、どこでも同じにできると言う事ではなく、こんな事例もあると言う話とご理解ください。

いくら素晴らしい自作地域映像教材でも使われなくては何の意味もないと思うのです。

つまり、最初から使うことを前提に作らなくては視聴覚センター・ライブラリーが自作する意味がないと思うのです。(趣味で作る映像作品は別次元の話ですがー。)

ある視聴覚ライブラリーの話ですが、自作ありきではなく、まずどんな映像教材があったらいいか、地域の学校教育や社会教育関係者さらには広く行政担当者や団体関係者と話し合い協力関係を作って映像教材を自作していたそうです。

例えば 

「ぼくたちの修学旅行=小学校=」「みどり色の旅=中学校=」

地域内の小中学校の場合、遠足や修学旅行カリキュラムが同じなので、遠足や修学旅行の事前に学習するための映像教材として、全部の小中学校が利用することを前提に、学校と話し合って作り利用していたそうです。

「高校案内」

中学校進学指導用に、市内中学校生徒が進学する殆どの高校を取り上げて、その学校の様子や内容について実際に高校側の協力を得て制作し、進路指導に利用されていたと言われています。

「工業団地」

市内にある工場の大半を取り上げ、その内容や仕事の様子について映像で紹介し進路指導の資料としていたそうで、この場合も教委だけでなく工業課の担当者や市の工業組合事務局と連携して制作し、学校だけでなく、社会教育施設や一般市民が実際に利用していたと言う話です。

その他「**漁港」というテーマで、市にある漁港の様子や仕事、水揚げされた魚の販路や利用等、漁業協同組合の協力を得て制作し多面的に利用されていたようです。

視聴覚センター・ライブラリーの場合、自作地域映像教材は、作り終わったら戸棚に眠るようなことでは意味がないと思いませんか?。

つまり、“使う“を目的に”作る“のではないでしょうか。

完成後は、授業や講座での利用、業務としている組織が、いつでも使えるように作る事が第一だと思うのですがー。

とかく、作る側目線だけで、自作映像教材を見つめ考え、利用についてもて同じような目線で考えていては映像教材を自作する意味がないと思うのです。

むろん、地域の文化財や生活に関わる映像記録の保存利用を目的とする場合もありますが、視聴覚センター・ライブラリーの役割として“使うための自作地域映像教材”と言う視点で考えてほしいと思うのです。


2016/03/29

30分で届けます!

30分で届けます!

 と言っても、飲食店の出前の話ではではありませんよ。

 仮にAライブラリーとしておきますが、このライブラリーは、教材貸出の申し込みがあったら、教材を30分以内に希望する学校や社会教育施設、或は集会所等へ配送するというやり方をして成功したと言う話です。

 まさか!!と思いますよね

A地域は、小中学校が合わせて12校、幼稚園保育所6施設、公民館等2施設合わせて20施設が対象の小さな視聴覚ライブラリーで、担当者は、ベテラン教員1名と若い町職員1名で、週2回各学校や施設を回る定期巡回サービスと、不定期サービスを随時行っていたのだそうです。

“小規模だから出来るんだよ!“言ってしまえばそれまでですが、しかし、形式にとらわれない担当者の知恵とやる気そして行動力が見られるような気がするのです。
 “30分で届けます“とは、前述の不定期サービスなのだそうです。

多くは、週2回の定期巡回サービスで現場のリクエストに十分対応出来るのですが、例えば、明日の午後、市民講座で地域の酒造工場見学に行くので、その前にビデオで概要を学習してから出かけたいと思いついて、突然、ライブラリー制作の”地域の工場“と言うビデオ教材の貸出を申し込んでも、申し込んだ時から30分以内に届けるサービスなのです。

あくまでも、利用者である学校や社会教育施設等のニーズに応える努力をして、ライブラリーと利用者の信頼関係を確かなものにしたいという思いが“30分で届けます”を実施していたと言うのです。

しかも、教材機材の貸し出しに限らず、担当者は、メディアの技術的な相談や使い方など日常的な利用を支えるための相談にも親身になって対応し、ある時などは講座がはじまり、実際に映像教材が使われる所まで確かめ、安心して帰ってきたという話も聞きました。

ですから、逆にライブラリーが地域映像教材や紙芝居などを制作する時など、学校や社会教育関係者が協力すると言う消極的な姿勢でなく“自分達が作って自分達が使う”という積極的な信頼関係が生まれたと当時の関係者が話していました。

今、メディア革新が進む中で、その存在価値が問われているライブラリーは、メディアリニューアルを含め、学校や公民館、団体などのユーザーにフィットした地域のライブラリーならではのメディアサービスを以って親身に対応する姿勢が問われているような気がするのです。

2016/03/11

実例が語ること

 別に怠けていたわけではないのですが、1か月以上ご無沙汰してしまいました。

 まあ、本音を言えば、書きたいことは山ほどあるのですが、公的なブログでは、どうしても書けない場合もあります。

 ところが、かつて日本でも最先端と言われながら僅か3年余で消えて行ったC県のT市教育放送センターに関わった方々が、その活動記録が残っていないのに気づき、資料の収集や、関係者からの聞き取り調査等を行い、記録として残そうと自主的な活動を行っている事を知り最近の流行り言葉ではないが、次世代へ語り継ぐ努力の大切さを感じました。

 よくこのブログでも、書いていますが、“過去“と言うのは、現在や未来を考える”きっかけ“になると思うのです。

 自慢話ではなく、やはりしっかりと語り継ぐべきことは書き残した方が、これからの教育メディア利用を考えるヒントになるのではないかと思うのです。

 そこで、やはり消滅してしまいましたが筆者自身が経験した時代の流れの中で消えては行ったA教育情報センターの例を中心に、単なる流行りではなく、しっかりとした教育理念と教育現場優先の活動により成果を上げた実例を、何回かに分けて取り上げてみたいと思います。

例えば
     1、(仮題)30分で届けます!(´_ゝ`)

     2、(仮題)中古自動車販売会社 (ノ∀`)

      3、(仮題)地域学習に役立つコンテンツ(^ω^)


2016/01/17

ナトコ映写機

 会議で、視聴覚協会へ赴き、少し早めに到着し、ひとりで会議室に入ると、意外なものを発見!しました。

 古びたナトコ映写機がおかれていたのです。

 と言っても、お分かりになられる方は、もうあまりいないかも知れません。

 戦後70年とよく言われますが、戦後の占領政策を進めるため、連合国総司令部の一組織と、CIE(民間情報教育局)がおかれ文教行政を担当しました。

 ナトコ映写機は、映画による民間教育を進めるため、凡そ1.269台とCIE映画が各都道府県に配布されました。

 各都道府県は、現在も形として残っている映写機操作講習を行い、ナトコ映写機作免許証を交付し、それぞれの地域においては、ナトコ映写機を使った映画会が行われていました。

 ある県の場合、33台のナトコ映写機CIE映画フィルム550本を県内地方に配布し、毎月300~400回の映画会が行われ、観客動員数は月間約30万人を超えたと言われています。(注)

 つまり、ナトコ映写機は、CIE映画を上映し民間や成人教育(現在で言えば社会教育)に役立てていたと言えるでしょう。

 かつて、地域視聴覚ライブラリーの担当者をさせて頂いた若輩の頃、倉庫の片隅に捨てられていた古びた16ミリ映画フィルムを復元して使った事を思い出させてくれました。

 この拙文も“ああ思い出話か!“と流し読みされても結構ですが、映写機がない、傷だらけで使えない、古くて利用価値がない、と廃棄される16ミリ映画フィルムが増えていますが、それぞれの教育映画の持つ意味を改めて考えて直して欲しいものだと思うのです。

 引用 注:全視連創立50周年記念誌「全視連創立50周年に寄せて」全視連会長井内慶次郎 2006.6